2020年10月07日にSnow Manのセカンドシングル「KISSIN’ MY LIPS/Stories」が発売され、オリコンシングルランキング第一位(推定売上枚数:652,305枚)を獲得しました。
今最も勢いがある「Snow Man」のデビューの背景、そのきっかけを作った滝沢秀明さんのジャニーズにかける思い、滝沢歌舞伎の意味について調査しました。
Snow Manはジャニー喜多川からは目をかけられていなかった
実は、Snow Manはジャニー喜多川さんからは「売れない」といわれていたこともありました。
そんな中、Snow Manを可愛がり最終的にジャニー喜多川さんに同時2組デビューというジャニーズ事務所初の発表にこぎつけたのがが滝沢秀明さんでした。
先にデビューが決まっていたSixTONESと同時デビューに漕ぎ着けたウラには滝沢さんの猛プッシュがあったことは明らかで、会見でメンバーが説明した日時の辻褄が合わなかったりしたこともあり、ファンの中で“時系列問題”と呼ばれ、いまだに禍根を残しています。
グループ名のSnow Manも滝沢さんが名付けたのです。
Snow Manの前身グループ『Mis Snow Man』のグループ名の由来はイニシャルと言われていますが、実際には本人たちもよくわかっていません。
ジャニーさんがコンサート中に衣装着替えのタイミングで、突然、『ユーたち決まったよ!』とグループ名を伝えてきたそうです。その『Mis Snow Man』が解散し、そこから名前を取って滝沢さんがSnow Manと名付けたのです。
Snow Manの長い下積み時代を救った「滝沢歌舞伎」
デビュー前のSnow Manはテレビの仕事は回ってこず、“舞台班”として扱われることが多かったのです。その結果、滝沢歌舞伎に出演し続けることになったのです。
「深澤は2012年にSnow Manを結成してからは、滝沢歌舞伎に出演し続け、『滝沢歌舞伎はSnow Manに支えられている』と滝沢さんは事あるごとに話していました」
毎年行われている「滝沢歌舞伎」にSnow Man(当時6人)は欠かさず参加していました。
今の活躍からは想像できない長い下積み時代だったんですね。
なかなかデビューすることができずに苦悩していたSnow Manにとって滝沢歌舞伎は活躍できる大切な場所だったといえます。
滝沢秀明がジャニーズ事務所副社長になり「派閥抗争」からジャニーズJr新時代に
まだ記憶に残るSMAPの解散問題はジャニーズ事務所内での「派閥抗争」が原因であったといわれています。
そんな中、ジャニーズJrのリーダーとして懸命にジャニー喜多川さんの薫陶を受けて頑張っていたのがタッキーこと滝沢秀明現副社長でした。
現在は藤島ジュリー景子さんが代表取締役社長と滝沢秀明副社長の二大体制でジャニーズ事務所を運営しています。
藤島ジュリー景子さんは現在デビューしているグループの活動を重視する経営方針ですが、元々ジャニーズJrの面倒を見てきた滝沢秀明さんは更なる後輩育成に力を注ぐべきだと意見の対立があるそうです。
現在ジャニーズJrの所属人数は120名を超えるとされていて、Snow Manのデビュー当時の平均年齢が24.5歳と「遅咲き」といわれたのもジャニーズ事務所の抱える問題と言えます。
実際に滝沢秀明さんが副社長に就任した後は「アイランドTV」にてジャニーズJrの活動が活発化しています。
今まではバックダンサーでしか見れなかったJrのメンバーもタッキーの活動の中で単独コンサートも実施されてますね。
ジャニーズ既存のグループの活動にも限界が来ている?
ジャニーズ事務所の創業者であるジャニ―喜多川さんが亡くなったのは2019年の7月9日。
あれからまだ1年と少しだが、その間に退所した大物は数多いのが「ジャニーズ帝国の崩壊」とさえうわさされています。
元・関ジャニ∞の錦戸亮さんに始まり元・SMAPの中居正広さん、NEWSの手越祐也さん、そしてTOKIOの長瀬智也さん。
9月20日、少年隊の錦織一清さんと植草克秀さんが今年いっぱいで所属事務所のジャニーズ事務所を退所することが発表された。
藤島ジュリー景子社長の方針である「現グループの活性化」ですが、時代と主にアイドルとしての活動に限界が来ているともいわれています。
嵐の20年を持って活動停止に表徴されるように「個人としての活動」に限界を感じているメンバーが多く、個人として活動していた少年隊の錦織さんと植草さんのようにグループとしての意味がない状況が続いています。
早々にその限界を感じていたKAT-TUNの赤石さんがだったし、それに続いて錦戸亮さんも19年に退所しています。
ジャニーズ新時代を切り開くSnow Man
滝沢秀明さんのライフワークだった「滝沢歌舞伎」。
本人は表舞台から降り、ジャニーズ事務所全体をバックアップする事となった時、ジャニーズを盛り上げるために大切にしてきた鍛えの場「滝沢歌舞伎」を託したのがSnow Manでした。
この想いは長い間共に滝沢歌舞伎を作ってきたSnow Manのメンバーが一番わかっています。
「滝沢歌舞伎 zero 2020 the movie」は無観客で行う言わば新時代への滝沢秀明さんの【挑戦状】なのかもしれません。
ジャニー喜多川の意志を継いだ滝沢秀明さんの目指すところはジャニー喜多川の夢であった
「ショービジネスの本場アメリカでショーを行うこと」なのかもしれません。
Snow Manのセカンドシングル「KISSIN’ MY LIPS」が全歌詞が英語である理由はそこにあるのかもしれません。
Snow Manから始まる滝沢ジャニーズ新時代!滝沢歌舞伎ZEROへの想い まとめ
滝沢秀明さんの副社長就任からSnow Manのデビューの背景や滝沢歌舞伎への想いについてまとめてみました。
ジャニーズ事務所の派閥争いや大物メンバーが退所している現状にSnow Manにかける滝沢秀明さんの期待の大きさに驚きました。しかし「光り輝く9Guys」なら新たなジャニーズ新時代を築いてくれることは間違いないですよね!
これからもSnow Manの活躍を応援します。
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