女優・竹内結子さん(40)の20年9月27日の訃報に、その予兆が全く見当たらず業界内には「もしかして産後うつだったのか?」との憶測が流れています。
竹内さんは昨年19年2月に俳優の中林大樹(35)と再婚し、20年1月に次男を出産したばかりだ。
産後鬱とは、どういった病状なのか、どうすればこのような悲劇を止められたのか。
体験談をもとに紹介します。
竹内結子さんは異変はなかったのに?産後鬱の可能性は?
「実は2度の出産で仕事を離れることには不安がありました。特に長男のときは、私の代わりはいくらでもいると思っていて、怖くてたまらなかった」
女性誌「LEE」の最新号(10月号)のインタビューでは、こう竹内結子さんは話していたそうです。
2005年6月に歌舞伎役者の中村獅童さん(48)と結婚(08年に離婚)し、同年11月に長男を出産しています。
「寂しい思いをさせたくないという気持ちもあったのでしょうが、とにかく長男を溺愛していた」(知人)
芸能人としての活動は、朝早いときもあれば、深夜に及ぶ時もあり家事と育児との両立が大変なものになります。育児に重点を置けば自然と仕事量をセーブしなければいけないので、ドラマなどの仕事は自然とできなくなったそうです。
プライベートの竹内さん、どちらかと言えば“繊細”なタイプだった?
代表作「ストロベリーナイト」で演じていた女刑事のようなクールビューティ―で強い女性というイメージも竹内結子さんにはありますが、プライベートの竹内さんは、どちらかと言えば“繊細”なタイプだったと言われています。
華やかなキャリアを築く一方で、10代の頃に仕事した関係者には
「私、ちょっと複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」
と話していたという。トップ女優は、自らの境遇をバネにつかんだ居場所だった。
これは10代の頃のコメントなのでいろいろと家族とぶつかっていたのかもしれませんが、「戻る場所がない」との言葉が心に刺さります。
当のご家族はそんなつもりではなかったかもしれませんが竹内結子さんの思い込みの強さと同時に寂しさも感じられるコメントです。
幼少期の竹内結子 中学からは引っ込み思案だった性格
ドラマでは「強い女性」のイメージが強い役柄が多かった竹内結子さんですがプライベートではどうだったのでしょう?
自身の性格を「中学入学後に一変して引っ込み思案になったけど、それまではおてんば。男の子とのケンカも絶えなかった」と話したことがある。
竹内結子さんからは想像できない感じですが、基本的にプライベートのことを話さなかったと芸能関係者のコメントが多くありました。
はきはきしゃべる方だと思っていましたが違ったのですね。
会見では家族についても言及。本当に珍しい一幕だった。
「お湯を沸かすのもハラハラしながら見守っていたうちの子が、自分でサッポロ一番を作るようになって。夫と一緒に夜食を囲んでひそひそ男の話をしたり。そういう景色の移り変わりとサッポロ一番が一緒にあって今後とも長く一緒にいたいです」
CMキャラクターを務めて6年目になる『サッポロ一番』のPR会見に登壇していた竹内結子さんの本当に仲睦まじい家族の話なのですが、記者の人は驚いたそうです。
竹内結子さんが家族の話をするのはめったとないそうで、そのコメントに喜んでいる記者と普段しないその行動に「何かあるかも」と思った記者がいたそうです。
産後鬱とは?誰しも陥る可能性がある孤独な主婦の病気
産後うつは第一子に限らず、第二子出産後に陥るケースもあるという。
「いいお母さんにならないといけない、子育てを完璧にしないといけないと考える“優等生タイプ”の女性によくみられ、『明るそうに振る舞っていた』とか『旦那さんが子育てに協力的に見えた』のに……というケースもあります。」
対外的に良く見せるのは誰しもがすることですが、それが過度に進むと「ストレス」に代わってしまします。
人に見られる職業ならばなおのことだったかもしれません。
「周囲に頼り、子育てへの協力を積極的に仰ぐことが産後うつの回避につながりますが、コロナ禍の影響でそれもままならず、産後うつを一層こじらせてしまった可能性はあります」(潮英子氏)
ここで心配なのが、相談する相手がいるのかということです。
産後鬱からの回復 体験談 ①4歳と1歳の子どもを育てている2児のママ
新型コロナウイルスの影響で4月から保育園への登園を自粛する運びとなりました。
私は自営業を営んでおり、平日は子どもを預けて仕事ができていたはずだったのに、まさかこんな事態になるとは予想できませんでした。また、私自身が下の子を産んだあとに産後うつ状態となり、今現在も精神薬などの服用も欠かせないといった経緯があり、日々イライラが募るばかりでした。
子どもの登園を自粛した3日目から、私のイライラはピークに達しそうでした。元から感情の起伏が激しくイライラしやすいということもあったのですが、ワーママということもあり、ママ友同士のつながりに乏しかった私。
「今、周りのお友だちや子どものクラスメイトたちはどこで何をしているのか?」といったことがまったくわからず、孤立を感じやすかったからだと分析しています。
新しいコミュニケーションを思い付き
そんな心のよりどころを失いつつあった私が思い付いた孤立感の対処法は、「メンタルヘルスの電話カウンセリングを積極的に受けてみる」という方法でした。
具体的には、夫が加入している健康保険組合や家族が加入する生命保険の福利厚生として、心理士など心の専門家によるカウンセリングが電話で受けられるというものです。
自分が話したいときに気軽に話せる喜び
メンタルヘルスの電話カウンセリングの通話はフリーダイヤルで、電話代も気にしなくていいですし、かつ新型コロナウイルスの感染リスクもまったく気にしなくても大丈夫です。
とにかくため込まず誰かに話す行動がとても大事になってきます。
話すことができない「ストレス」がさらに自分を追い込んでしますそうです。
産後鬱からの回復 体験談 ②引っ越したばかりで相談相手がいないママ
私自身、二人目出産後、体調も回復していないまま、家事や育児を再開しました。疲労と寝不足から、上の子にイライラしてしまうことも多く、無気力でやる気が出ない時期が続きました。
夫は長期出張で家にいない。実家も遠方で気軽に頼れない。引っ越したばかりで土地勘もない。
この三重苦で、今にも押しつぶされそうでした。ですが、一歩ずつ悩みを解決していくことで、何とか自力でこの状態から抜け出すことができました。
不眠症から始まり、上の子が可愛く思えないようになりました。俗にいう「上の子かわいくない症候群」。何よりも優先させ、大事に育ててきた上の子。それなのに、イライラし、時に傷つくような言葉さえ浴びせてしまうことも。
その後悔と自分に対しての嫌悪感。無気力で何もする気が起きない。
子育てに対して、とてつもない使命感を持っていて、「まぁいっか」という気持ちにはなれない。人に頼るのは恥ずかしいし、周りのママができているなら、自分も頑張れるはずと思ってしまいますよね。
私も、完璧主義で心配症。周りを頼れず一人で頑張ってしまう傾向がありました。
産後の悩み① ダンナさんが育児に協力できない
そこで、残業や出張に関しては口を出さない代わりに、家にいる間は、子供たちとしっかり向き合ってもらうことにしました。
家にいない間は、ラインや電話などで、悩み相談を小まめにするようにしました。今まで、仕事が忙しいから話してもムダと思っていましたが、小さなことでも聞いてもらうことで、少しずつ心の安定が保てるようになりました。
産後の悩み② 上の子かわいくない症候群
下の子が産まれることで、上の子がかわいく思えなくなる「上の子かわいくない症候群」。上の子かわいくない症候群は、時間が解決してくれることがほとんどです。
物理的にデカイ上の子を目の前に、より弱い存在を守ろうとするのが、母親の本能です。ですが、上の子はそのようなことは理解できませんよね。
母親として、産まれたばかりの赤ちゃんに付きっきりで、上の子に我慢をさせていることも分かっています。
そこで、長期連休は実家に長めに帰省して、上の子中心の生活をできるようにしました。じいじとばあばとお出かけをしたり、目一杯甘えさえてあげることができ、私の罪悪感も少し拭われました。
産後の悩み③ 家事ができない
子供二人連れて買い物に行くのは重労働。週末、ダンナさんが出張などで買い出しができない場合は、ネットスーパーや宅配サービスをフル活用することにしました。
わが家は、おうちコープ生協の宅配サービスを使っていましたが、レンジで温めるだけ、焼くだけなど、お手軽な食材がたくさんあったので、かなり重宝しました。離乳食も、生協の裏ごし野菜にお世話になりっぱなしでした。
赤ちゃんの体が安定したら、おんぶして家事ができるように、肩が疲れにくいおんぶ紐も購入しました。おんぶ紐を利用することで、家事に関する悩みはほとんど解決しました。
竹内結子は「産後鬱」が原因だった?産後鬱って何?体験談より学ぶ頑張りすぎない事 まとめ
竹内結子さんの事はとても悲しいことですが、今を生きているママさんの中で「産後鬱」に悩んでる人がいたら「母親の癖に」などと責める言葉ではなく、少しでも心安やすらかに育児ができる環境をつくってあげたいですね。
本人も残された人も悲しみの中にいるのではなく、笑顔で生活できるように。そんなことを学んだ思いです。
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